【感想】ソ満国境 15歳の夏
★2018年08月05日(日曜日)に観た映画
毎年、終戦の日が近付くと、日本では必ず『広島の原爆』ばかり取り上げる。それは、それ程の大変な出来事だったので仕方ない。
...しかし...
大陸の満州に渡っていた人達に苦難があったことを御存知だろうか?知らない人も多いかもしれない。こちらも、けして忘れてはいけない歴史の1つである。
こちら→映画『ソ連国境 15歳の夏』公式サイト
DVDだからか、学生の演技に問題があったのか、最初から一部のセリフが非常に聞き取りにくかったです。なので字幕が欲しくなった。
それから、あえて普通の学生っぽい子達を選んだのかもしれないけれど、普通過ぎるのと、学生達の背景が薄くて何か物足りなかった。もっと背景を伝えて欲しかった。
肝心なのは学生の方よりも、満州に渡った同世代の昔の学生達の方だったので、それでいいと思ったのかもしれないけれど。
『マイナーなドキュメンタリーっぽい映画』と思って観れば、その辺は許せますね(笑)
ただ、内容じたいは良いです。原作の本の方を後で読んでみたいと思いました。まんまと、そういった戦略にハマる私です。
いいのです。『真実』を知れればね。
観終わって私は、この映画で伝えたいことが何となく解りました。次世代を生きる福島の子供達への応援メッセージでもあると思いましたね。
「忘れるな」「伝え続けろ」「強く、逞しく」「生きろ」...と...。
私が東日本大震災と原発事故を経験した後の心境としては『国や政府への恨み』だった。現代の日本は昔と比べれば確かに恵まれているけれど『国や政府が東北人を見捨てたことに関しては、昔も現代も同じだった』からです。『独裁時代から何も変わってない』と思ったのであった。
どうやらそう思ったのは、私だけではなかったようです。それも、この映画から解った。
ただ私は、その後、移住先の埼玉県にて、政治の世界に片足突っ込んでいて、哲学的な思考の社長さんとの出逢いから、『恨んでるだけでは何にも変わらない』ことを、それとなく教えられた。
別に私が国や政府に対して、何かを言ったわけではないけれど、社長さんは福島から移住した私の心境を察知し、勝手にこういったのだ。
社長さん『国というのは、政治家だけでなく、国民の皆でつくっていくものなんですよ』
最初は「何も知らないくせに綺麗ごといいやがって、いうだけなら誰でも何とでもいえるんだよ」と思ったのですが(笑)後になって「確かにそうだ」と思ったのである。
『この腐った世の中を変える』には『自分も含め、1人1人の意識を変える』必要がある。
震災後ずっと『自分が出来ること』を考えていたのですが、まずは被災者も含め悩み多き人達を心理面から救える可能性がある、ボランティアの無料占いをブログで開始した。何よりも『心身のフォローが必要だ』と思ったのです。
それにより自分の特殊脳波である覚醒シータ波(てんかん波)の出現が増え体調が悪化したり、多くの人達に知られるようになるリスクは増えたけれど、それも恥ずかしいことや間違ったことをしているわけではないのだから、堂々としていればいい。
私のような稀な健常者を捜し、脳の研究をしたい人達がいるようなので、モルモットにされる可能性もありますが...近年は脳医学や脳科学の発展が凄いです。大丈夫かなと。
そう思うようになった。
そんな私と同じように、福島の子供達にも『自分が出来ること』を発見して欲しい。そして『自分の生き方は、自分で決めて欲しい』ですね。最初から無理だ、駄目だと諦めず。
中学生くらいになれば、それも出来る年齢ですからね。その場合、親の説得など色々とあるけれど...『自分の人生を決める時は、何よりも自分の気持ちを優先させるべし』だ。
やって駄目でも、健康に生きてりゃ、いくらでもやり直せることも多い。何とかなる。困った時は助けてくれる人もいる。世の中、捨てたもんじゃないと思えることもあります。
ただ、悪い人達には注意で、騙されてはいけませんよ(汗)頭を使って、賢くね。
★昔の福島県民
確かに、安倍一族の血が流れる安藤家と曽我家の娘である、母方の曽祖母はお菓子屋さんに『奉公』に出て、祖父を身籠った。その曽祖母の遺影の写真は、裕福そうな先祖代々の遺影の中で、なぜか1人だけ『最も貧困で苦労した顔でもあった』ので印象深いです。
その母方の祖父は常磐炭坑で働き、まさに『満州へ戦争に行った』と聞いたことがある。後で安倍一族について調べ、満州の地と関係があることを知って、祖父は自分のルーツと関係ある地に、自然に行っていたのだなと...その運命に驚いたものである。
(↑満州へ戦争に行った話、後で間違いと判明。母が忘れてなければ...追記を読むべし)
母方の祖父と同年代くらいの父方の祖父も、豆腐屋さんをしてたけど、御偉いさんの保証人になっていたことから、借金を背負わされてしまい、同じく常磐炭坑で働いていたのですが、その頃には事故で身体障害者の寝たきりになっていたので、満州へ戦争に行かなくて済んだらしい。
(↑戦争前に身体障害者になった話、後で間違いと判明。追記を読むべし)
両親が学生や成人になりたての時代も、福島から他の地へ『出稼ぎ』へ行く人達は、当たり前に多かった。なので『特に地方では、貧困で苦労していた』ことが、想像できます。
もっと満州について知れた時には『東北の記録』にも記録したいと思います。
あっ!そういえば、この映画の中に出てくる、満州の御偉いさんを描いた絵に注目したのですが『黄色い豪華な服』でした。
それは当時の中国では『高貴な人しか着れない色』だったからだと思われますが、安倍一族の末裔で、青森の安東一族『安東高星丸』の絵でも似た『黄色い豪華な服』だった。
安倍一族というと東北縄文人というイメージが強いのですが、やはり、その後は大陸の影響を強く受けているのを、そのような絵からも感じさせるのである。
★追伸
...しかし...
2018年08月15日、改めて福島で生まれ育った両親に、父方と母方の戦時中の祖父の様子について聞いたところ、間違っていたことが判明(汗)
なので、訂正しておきます。
母方の祖父は、大陸の『満州』ではなく、南国の『フィリピン、マニラ』へ行ったそうです!そして『マラリア』に感染したらしい。
父方の祖父は、戦争中、身体障害者ではなく健常者だった!立って歩けていた。
でも闘いに行かされるような感じではなく、『仙台』に派遣され『上層部の人達と無線でやり取りするような役目』だったそうです。
なので父方祖父は戦争中なのに、お饅頭を食べたりもできていたようです(汗)戦争中の過酷なイメージ...どっちみち、父方祖父にはなかったようだ。
でも妻である父方祖母は『幼い父をおんぶして、山を越えて逃げた』と、子供の頃に父から聞いたことがある。
とにかく父方祖母は家族を守り、身体障害者の祖父の世話にと、晩年まで苦労し続けていたような人だったようだ。でも祖父から愛され、大切にされ、感謝されていた。それを祖父の死後に、祖父の直筆の文章で知れたので、私は祖母はとても幸せだったと思う。
ちなみに祖父らの子供である両親も、満州へは行っていないそうです!年齢的に違う世代っぽい。満州へ行ったのは、父よりもっと上の年齢の人達のことかと思われます。これは年代や数字が嫌いでスルーしていた私のせいですね(笑)
でも両親は、東北から東京へ働きに出た人達ではあります。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』だと堀北真希さんが演じた...集団就職で東北から上京した人達みたいな感じですね。
このようなことがあるから、いくら身内とはいっても、人から伝えられる他の人の情報というのは微妙であったりする。両親だって、もう物忘れの多い年齢でもあるので...間違ったり、勘違いで記憶していて、伝えてる場合もあるでしょうしね。
正確な真実を知るためには、直接、本人から聞くのが一番。本人の記憶ならば確かです。しかし今では、両家の祖父どちらも天国ですので無理。
いつか夢で教えてくれることを期待している。
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