【感想】埼玉の伝説を歩く 志木・朝霞・新座・和光編
★2019年02月19日(火曜日)に読んだ本
埼玉の歴史は非常に興味深い。
その中でも、こちらの本は、『昔話』ではなく『伝説』を実際に歩き記録した本である。
★坂上田村麻呂の伝説あり
ちょうど日本の北東と南西のど真ん中らへんにある関東地方。
その中でも埼玉は通過点だった。
...なので...
エミシであるアテルイと直接関係のあった坂上田村麻呂の伝説が、埼玉にもあった!
坂上田村麻呂が東北へ向かう前に、強敵と闘ったそうだ。
それは関東に存在した日本王国の一軍だったのかもしれない。勿論、関東のエミシも含まれていた可能性がある。
そして、きっと東北から京へ向かう途中のアテルイも、坂上田村麻呂と共に埼玉に泊まったり、通過したに違いない。
★高麗地方との不思議な縁
高麗地方に多い、高麗家とも関係がありそうな、ある名字がある。
その名字、私が東京でお世話になった店舗の、オーナーの名字だった!
ちょっと変わった名字なので、オーナーと名字の話になり、その時に『埼玉に多い名字』なのは聞いて知ってはいたが、まさか、ここと繋がるとは思ってもいなかった(笑)
★新羅王家
埼玉には『高麗郡』があり、他に『新羅郡』もあった。
高麗郡は高句麗王家と関係あるが、新羅郡も新羅王家と関係があった!
私の母方祖父が養子に入った家は、安倍一族の親戚の名字からなる、その後の名字なのだが...その安倍一族の親戚の名字には、まさに『新羅王家』という説がある。
これらの渡来人というのは、最初は大和朝廷(関西の京)に渡り、その後に東国(関東の日本王国)へ移動している。立場的には大和朝廷側の渡来人ではある。
しかし大和朝廷(関西の京)付近には、大和朝廷と親密だった百済王家が移り住んでいる。百済王家と比べれば、高句麗王家と新羅王家は信頼されていなかったことだろう。
東国(関東の日本王国)には『土着の先住民族エミシやその豪族・高句麗王家と新羅王家・そして百済人や唐人』もいた。
要するに大和朝廷に逆らうエミシ、高句麗王家や新羅王家などの渡来人、大和朝廷側でも悪さをして流す必要のある倭人は、東国(関東の日本王国)に移されたということだろう。
間に挟まれた状態である渡来人は、日本での戦に協力しろと、巻き込まれることもあったことだろう。特に東北のエミシを攻める時とか。
しかし関東の日本王国の勢力が強くなれば、巻き込まれなくてもすむようになる。大和朝廷に逆らうことも可能だ。
渡来人側から日本の歴史を見ると、そういう裏事情が、よく解る気がする。
百済王家も高句麗王家も新羅王家も、それぞれ自分達の血を後世に残すためにも、日本に王家の人間を渡らせたのだろうだと思われる。信頼を得るための『人質としての役目』でもあったようだが。
それらの王家は、自分達の血を大切にしていた。王家は血の繋がりを大切にするものだ。
結婚するのも、しばらくは高句麗なら高句麗人同士だった。事情により結局は、日本人との結婚をするようになったが。
エミシの家系も同様に、自分達の血を大切にしていた。同化が進んでも、なるべく自分達の血を大切にしていた。自然に選んでもいた。その点も似ている。
★スサノオ
出雲神話の神であるスサノオ(牛頭天王)。出雲に来る前、新羅のソシモリにいたそうだ。
出雲と新羅はスサノオでも繋がった。
蘇我(曽我)家の先祖は『武内宿禰』といわれているが、出雲族(新羅系ともいわれる)の『物部家』からなる家ともいえる。
この物部家は『スサノオから始まる』ので、スサノオも蘇我(曽我)家の先祖といわれている。東北のエミシの家系である安倍家もだが。
どうやら、やはりエミシは『新羅』の影響が強そうだ。まさにシルクロード!
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