【感想】アイヌ学入門

書籍の御紹介




著者は、札幌市生まれの考古学者・アイヌ研究者である、瀬川拓郎氏。

【もくじ】


序章『アイヌとはどのような人びとか』

第一章『縄文~一万年の伝統を継ぐ』

第二章『交易~沈黙交易とエスニシティ』

第三章『伝説~古代ローマからアイヌへ』

第四章『呪術~行進する人びとと陰陽道』

第五章『疫病~アイヌの疱瘡神と蘇民襲来』

第六章『祭祀~狩猟民と山の神の農耕儀礼』

第七章『黄金~アイヌは黄金の民だったか』

第八章『現代~アイヌとして生きる』

読書感想


皆様は、もくじ部分を見て、どう思いましたか?

「アイヌらしい」もしくは「アイヌらしくない」と思いましたか?


...私は...


「エミシらしい」ってゆぅ~か「それはエミシだろ!」と、ツッコミたくなった(笑)


どうも北海道出身者による、アイヌやエミシに関する書籍というのは、『縄文人=アイヌ』もしくは『縄文人→直接アイヌ』の流れに繋げているような内容が多い。

そもそも、アイヌの先祖の一部である縄文人(アイヌにはオホーツク人のDNAも混じっているから)。その縄文人の血が流れる東北のエミシの存在を、スッカリ無視したような思考なのだ。

こちらの本では、後から奥州藤原家の一部が、北海道に移住したというような内容が記されていた。後ばかりで、前は殆ど無視なのだ(笑)

勿論、完全には無視が出来ないので、一応はエミシについてもチラッとは書いてあるのだが...その末裔である安藤家(安東家)や奥州藤原家などに対して、『エミシ』や『エミシの末裔』とは表記せず、他の本州の人間達と同様に『和人』と決め付けて、表記する傾向なのだ。

エミシは人種的にも、縄文人だったのか、アイヌだったのか、和人だったのか、ハッキリしていないというのに(笑)そりゃぁ~、ハッキリするはずがない。色々と混ざりまくっているのだから(笑)

つまり、どれでもあり、どれでもないのだ。強いて言えば『東北縄文人系』である。だからエミシやエミシの末裔については、『エミシ』や『エミシの末裔』と表記すべきなのである。

アイヌ以外の人間を和人と呼び、差別するのは勝手だが、東北のエミシやエミシの末裔は、他の和人とも違うのだ。そこは正しく表記すべきである。


アイヌがアイヌであるのと同じように、エミシもエミシである。

エミシの存在を尊重せず、無視して、勝手に他の和人と同様に、和人呼ばわりするとは...それこそ...先に同化した「エミシに失礼ではないか!」と思うのである。



『昔々はアイヌも本州にいたんだ』だから『アイヌは先住民なんだ』と、思い込ませたいのであろう。

本州にいたのはアイヌの先祖の一部である縄文人、その血が流れるエミシだ。アイヌではない。つまりエミシが先であり、アイヌは後なのだ。後から北海道で出来た民族なのだ。古くない(笑)エミシの一部がアイヌになったといえる。それにより、そのエミシの影響を、アイヌが受けているのだ。

その微妙で曖昧な部分を、悪く言えばだが、利用しているように思える。

エミシのしてきた事を、アイヌがしてきた事のようにし、アイヌ民族というのは、これだけ凄い人達だったのだ!とね。

んなわけねぇ~だろ(笑)

エミシの歴史を、アイヌの歴史にしてはいけない。似てるようで、大違いだ。

きっと、単純に縄文人らしさの特徴が強く残るアイヌに結び付くからというのと、北海道そしてアイヌにとっても、その方が都合が良い部分があるのだろう。


東北の歴史が消された事をいいことに、どいつもこいつも、言いたい放題、やりたい放題である(笑)


...しかし...


エミシとアイヌには共通している部分が多いので、色々と勉強にはなる書籍ではあった。

最後の方、第八章『現代~アイヌとして生きる』で、アイヌのAさんが語られている内容に「おっ?!」と思う部分があった。

『記憶する力』という部分に書かれてある内容で、Aさん曰く、アイヌは記憶力に優れているそうだ。その点はエミシの末裔であり、タレンテッドの脳である私にも共通する部分である。

確かに、アイヌには文字が無いのに、古くからの伝承が残っている。多少の違いはあるだろうが、伝承として現代まで残っているという事は、記憶力に優れているといえるのかもしれない。


まぁ、それはMRIでアイヌの海馬の大きさをチェックしてみなければ、判らないが(笑)誰にでも、思い込みというのはあるので(汗)


ちなみにAさんは、子供の頃に差別やイジメを受けた経験がないらしい。子供達にアイヌについての知識が殆どなかったようだ。気付いてないようで、あったのかもしれないが、気付かぬくらいなかったという事のようだ。

勿論どのアイヌもが、そうとは限らない。当然だが、差別やイジメで辛い思いをされてきたアイヌもいるであろう。


現代ではアイヌではなく、アイヌ以外の人間が「差別だ!」「ヘイトだ!」と、大騒ぎさせる傾向のようで、『差別が作られている』ともいえる背景があるようだ。そのためネット上で安易にアイヌを語るのには、注意が必要。

「差別だ!」「ヘイトだ!」と攻撃されて、SNSのアカウントを消されるかもしれないからだ(笑)

そうして自分とは違う思考の人間達を、団体で攻撃し消そうとする動きがあるようなのだ。それもそれで、いかがなものか。そうした汚い手を使っている奴らが存在する。

少しリサーチすれば、どんな奴らか、どんな顔をしているのか、判るはずだ。どう見てもアイヌの顔ではない(笑)

そういう奴らに利用されているアイヌ...私自身アイヌの一部の人達と、血縁的にも(?)繋がりがあるのだが、あまりにも可哀想に思うのだ。


そういえば東北人も原発事故後に『東北土人』、福島県民は『福島土人』とも呼ばれていたなぁ~。

せめて『エミシ』と呼べ!その方が私は嬉しい(笑)

コメント

  1. こんばんは!

    「アイヌがアイヌであるのと同じように、エミシもエミシである」 「『差別が作られている』とも言える背景があるようだ」
    すごいっ!なんて説得力のある言葉、そして記事。読んでいて涙が出そうになりました!

    返信削除
    返信
    1. YSさん、おはようございます(^^)v

      ありがとうございます。読書をしまくっている効果でしょうか(笑)エミシの真実を伝えるのが、私の使命です。

      私はアイヌ側でもなければ、和人側でもないので、どちらの味方でもあり、どちらの味方でもありません。アイヌより先に侵略されたともいえる、東北で同化したエミシ側ですが、その扱い方には前々から文句が言いたかったのです。

      和人側にはアイヌと同様に見られ、アイヌ側には和人と同様に見られている。要するに、どちら側からも差別をされてきたのがエミシであり、どちら側にも殺されたのがエミシです。

      そして現代では、どちら側にも利用されているのがエミシ。そういう奴らのせいで、本当の東北の歴史は、消されたのかもしれません。そう考えると物凄く腹が立ってくるのです。

      『つくられたエミシ』という北海道出身者の書籍がありますが、そのタイトルを利用して、私はこう言い直してあげたいです。「『つくられたアイヌ』が真実だろうが!」と(笑)

      アイヌの背景に存在する奴らは、社会的に『アイヌへの差別があると大袈裟に強調』する事により、他のアイヌに無知な人達や、アイヌの真実を知る人達や、自分達とは違う反対意見の人達が、安易に邪魔な言葉を発言できないようにする...

      つまり、アイヌに対する批判的な言葉を『全てタブー視』させる事により、邪魔者達を排除しようとする、とても危険な思想を持つ、卑怯なやり方です。それでは言論の自由も何もありません。不平等です。

      一部のアイヌや、その背景に存在する奴らに、そこまでする権利はありません。

      とっくに人種的には混ざりまくっているのに、DNA的にも怪しいアイヌが存在する可能性が高い組織団体のために、なぜ日本国民の多額な税金を使う必要があるのか。そこは非常に疑問ですね。

      そもそもアイヌが考えている民族の定義も、世間一般の多くの人達が考えている民族の定義とは大違いなのです。人種の違う養子だろうと、国際結婚だろうと、アイヌと結びつけば全員がアイヌ民族だという...何とも自分勝手な定義なのです(笑)

      世間一般での民族の定義としての考え方は、全く違いますよね。そちらの方が常識的な考え方なのにです。だからネット上では、アイヌ側と和人側とで、民族に関する内容についてのトラブルが続出しています。

      根本的な民族への考え方が違っているので、どうコミュニケーションしようとしても、お互いに理解しようがないのです。困ったものです(汗)

      東北のエミシは先に同化したけれど、そういった中でも、自分達の血の繋がりを大切にしてきました。そこがアイヌとは違う部分です。

      養子を迎えるにしてもエミシの血が混じる親戚から、結婚するにしてもエミシの血が混じる親戚と結びついたりしてきました。勿論、その背景には差別があり、他の家と結びつくのが難しかった事もあるでしょうが。

      だから東北の福島県では、縄文語のアクセントであり、アイヌ語のアクセントである、『無アクセント』が現代でも残っているわけです。エミシの末裔である私の近い親戚達は、福島県民です。中通りから浜通りまで親戚達は存在している。それが、その事実を証明しています。

      その点、北海道では違う。すでに無アクセントは消えてしまい、ほぼ東京と同じアクセントです。東京とは遠く離れているというのに(笑)

      そういった事からも、北海道での縄文の血は、かなり薄まってしまっていると判断可能です。顔を見ても判る。アイヌらしい顔は年配者にしかいません。それらの年配者も、殆どが和人とのハーフ顔です。

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